CAMP〜渡航実績〜

フィリピンキャンプ

フィリピンキャンプでは、フィリピン中部、ビサヤ地方東部のレイテ島を拠点に活動を行っています。村人の生活に溶け込んで、彼らと共にワークを行います。現地の子供たちと一緒に遊ぶイベントなども企画、実行します!

 

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2019年度募集要項はこちら→フィリピンキャンプ募集要項2019

 

ネパールキャンプ

ネパールキャンプは2000年からほぼ毎年開催しています。

2015年4月にはネパール大地震が起きました。マグニチュード7.8の地震は90万棟の建物を破壊し、死者は9000人に上りました。地震発生からまもなく3年が経ちますが、ネパールの復興の状況はまだまだです。私たちネパールキャンプでは、震災復興に尽力するため、ワークキャンプを続けています。

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2019年度募集要項はこちら→ネパールキャンプ募集要項2019

 

中国キャンプ

中国キャンプの活動

2009 年 2 月 1 日、3 日と 4 日に 2 人の海南大学の学生と 3 人の FIWC 関東委員会のメンバーが村を訪 れ 3 日にわたる下見を行った。その後 2010 年に前後して 2 回のキャンプが開かれ、現在までにセメント舗装、「コーヒーが彼女を待っている」などの活動を行う。村人の情報を収集し残したため以降のキャンパーたちは村人を知るのに便利でより良いワークキャンプを行った。
2011 年 8 月から 2016 年 2 月までに、毎年冬夏休みはキャンプを開催してきた。長屋 B と村人の台所 の間の階段に、村人が昇り降りするのに便利なように手すりを取り付けた。長屋 A の前に日除けを建 て、その下にセメントを敷いて村人たちが涼んでおしゃべりができる場所を提供した。村人のために簡単なワークをするほか、キャンパーと村人が近づきやすいように表札をつくった。村人に地図をあげた り、カクテル会、新春市場などのケア面の活動をして、村人とキャンパーの間のコミュニケーションを 促進した。このほか長屋 A の裏手に村人が頻繁に薪拾いやその他の仕事をしに行くので、安全性を高めるために小道をつくった。去年の夏休みは裏手の小道に排水溝をつくり雨がふっている時の水が流れる場所を作るなどした。今までに村で開かれたキャンプは 18回である。

 

2019年度募集要項はこちら→中国キャンプ募集要項2019

 

韓国キャンプ

韓国のハンセン病の歴史とワークキャンプの歩み ※モグネットより引用

「韓国ハンセン病の概略」日本の統治下での強制隔離政策や朝鮮戦争の混乱から脱出した韓国は、1960年代より、ライ快復者(ハンセン病快復者)の社会復帰のための方策として、「定着村」作りを始めました。それは、ライへの差別や偏見が快復者の個人的な社会復帰を困難にしていたため、集団である土地に入植し、農業や畜産で生計を立てていこうとするものでした。現在、韓国に90ヶ所ほどの村があり、小は20人位の村から大は1,000名まで規模は様々です。その中に韓国のライ快復者の約3割、約12,000人の人達が、その家族約13,000人と暮らしています。村の生計は養豚、養鶏等の畜産に依るところが多く、全定着村で、韓国の卵の生産量の約3割を生産していると言われるほどになっています。入植当時は、周りの村人の反対や、生活難で大変な苦労がありました。偏見のため子供達が地元の学校に通えず仕方なく村に分校を作っていた村もかなりあります。しかし、彼らは、教会を精神的な支柱に、畜産組合を経済的な支柱にして努力し、家族を営み、子孫達の発展を夢見ながら村を豊かにしてきました。経済的な発展は周辺の村との交流を活発化させ、畜産をやるために定着村に入ってくる一般人も現れ始めています。今の定着村に問題がないわけではありません。後継者不足や、老齢化は深刻な問題になっています。障害のある彼らが老齢化していけば当然生活力は落ちていきます。定着村は自主自立の村ですから、そう特別な政府の補助があるわけではありません。(医療は無料、最低保障の食糧、燃料費の補償あり)

「日韓合同ワークキャンプの生い立ち」1963年、ある一人のハンセン病快復者が、無菌証明書を提示したにもかかわらず、東京YMCAホテルから宿泊を拒否された―― その事実を伝え聞いた当時のFIWC関西委員会のメンバーが、「らい園在園者が気楽に宿泊できる家を建てよう」と提案したことが契機となり、数々の困難を乗り越えて、4年後の67年、奈良市郊外の大倭(おおやまと)に学生たちの手で「交流(むすび)の家」が完成した。交流の家が開かれてから4年目の71年、たまたま韓国からクエーカー教徒の呉奇天(オチェチョン)牧師が来訪、宿をとった。40代のおだやかな人物で、一韓国のハンセン病快復者定着村・再活圏(チェファルウォン)で伝道を続けているとのことだった。そこで話は一挙に広がり、翌72年秋、2名が渡韓、定着村を訪問した。73年に入って韓国で最初のワークキャンプを開くにあたり、日本側だけでなく、韓国の学生の参加も募ることになった、しかし当時は、まだ韓国の学生とは何のつながりもなく、呉牧師は1人で大田(テジョン)駅に立って道行く人に声をかけた。「この8月に日本の学生が定着村のワークキャンプで来韓するが、一緒に参加しませんか?」その時、夏休みで帰省中のソウル大学の女子学生が協力を申しでて、友人知人、親類の学生に呼びかけた。たちまち17人が集まり、日本からも29人が参加して、再活園で第一回日韓合同ワークキャンプが開かれた。その後、韓国側のメンバーも年々広がり、79年には地元、大田市の忠南大学に「KWCL(韓国助らい会)」が発足した。さらに日本人留学生メンバーの働きかけにより、86年にはソウルの韓国外国語大学に「ハナヘ」という組織も発足し、以来毎夏2ヶ所の定着村においてワークキャンプが行われるようになり、現在に至っている。

※韓国のハンセン病の他、ワークキャンプについても関心のあるかたは、ぜひモグネットのHPをのぞいてみてください。モグネットHPアドレス http://www.mognet.org/index.html

 

2019年度募集要項はこちら→韓国キャンプ募集要項2019

 

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